ルーナっこの雑記ブログ

ふんわり笑顔で ゆるりと(^_^)food・家・映画など、生活についてつづります。

衝撃的な発言

25年も前になりますが、新聞で、認知症のことを知りました。

そこにのっていた記事は衝撃的で、忘れることができないものでした、

衝撃的な発言

赤ちゃんが

新聞記事は 衝撃的な発言から始まります。

「どうも赤ちゃんができたみたい。どうしたらいいでしょう」 

母が父に聞きます。

「なら、産め」父

母も父も70代後半。

ここまで読んでも 私はこの記事で何が起こっているのかわかりませんでした。

そしてこのことを家族に冗談を言うかのように伝えた父。

「妊娠事件」の少し前に兆候はあって。

家族が入院した時、母は病室からトイレまで ティッシュを細かく廊下に落とし、帰りはその紙片を拾いながら戻ってきました。

徘徊の始まり

それから間もなく、深夜に母がいなくなりました。

徘徊の始まりでした。

日に日に増えて、近所にも迷惑をかけ、家族のストレスになりました。

それでも父は

「これは病気だから」と言います。

ある日 出て行こうとした母を止めると、夫が腕をかまれました。

それでも

「こんな病気になって、かわいそうだ」と言いました。

優しい父の気持ちに 家族は救われます。

酪農家

このお宅は乳牛を飼っていたので、休日がないです。

朝5:30起床、夜も7時過ぎまで仕事は続きます。

疲れた体での介護は身にこたえます。

母を大切にする優しい父の存在は救いでした。

でも 父は次第に足腰が弱って電動ベッドがふたつになりました。

そして亡くなります。

母はひとりになりましたが、ひ孫たちは時々ベッドにもぐりこんで 添い寝しました。

おむつを換える時にはいつも手伝ってくれました。

父が母に優しくする姿を見て 自然にいたわる気持ちが身についたのでしょう。

父の母への深い愛情が、改めて思われます。

最後に

この日の私の母は 少し眠そうな声でした。

それでも先日面会して会った話をしているうちに

「いつの日かまた会いましょうね。」と言ってくれました。

認知症の母が言ってくれた将来への希望の言葉は とてもうれしかったです。

うるうるしてしまいました。

私もこの新聞記事の父と呼ばれる人のように 歳を重ねていきたいと思います。

 (*^_^*)ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。

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